山沢 栄子。 The Third Gallery Aya

美術手帖

会ったことないけど。 私は抽象的な写真を研究しており、縁があってカタログのテキスト執筆を担当している。 そういうヤバい作品です。 無限連鎖だ。 何なのか分かりません。 当初はポートレートの撮影を主な仕事としていましたが、晩年の1980年代には抽象絵画のような写真作品を制作する作家として知られていました。

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山沢栄子『私の現代』

都市にせよアートにせよ、関西には謎のポテンシャルがあるはずで、そのカイブツ性が世に認められることは単純にうれしいです。 1955年大阪府芸術賞、1977年日本写真協会功労賞、1980年神戸市文化賞を受賞。 28年(昭和3)にイギリス、フランスを旅して西洋美術に触れた後アメリカに戻り、カネガおよびハンガリー人写真家ニコラス・ムレイに師事し、ニューヨークにあるムレイのファッション・スタジオでポートレートの撮影に従事する。 "An Incomplete History: Women Photographers from Japan、1864-1997", VISUAL STUDIES WORKSHOPなど、アメリカ巡回• 業界全体の風土、構造的な問題ですかね。 1950年、山沢写真研究会開設。 結婚はされておらず、晩年はお一人でした。

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年末年始は“映え”アート展へ!「山沢栄子 私の現代」

本展は、このパイオニアに再び光を当て、さらなる研究を促す契機となるだろう。 この日は彼女の人生と創作活動について、畑祥雄先生(写真表現大学 /大阪国際メディア図書館のボス)より、写真集と、実際の写真作品と、そして非常に貴重なドキュメンタリー映像とを用いたレクチャーが行われました。 今、ぎりぎり戦争体験者が自らの言葉で語れる時代です。 山沢の仕事の幅広さがよくわかります。 こんな 鬼 いや、芸術家が、なぜ日本の写真界で注目されてこなかったかと言うと、思うに以下のポイントがあります。

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山沢栄子

同展のもう一つの見どころは第3章「山沢栄子とアメリカ」で紹介されているTOPコレクション。 現代写真の最先端に触れ、充実した作品群を自らも残す。 写真はその仕事場のようす。 そこで写真のおもしろさに目覚めた山沢は絵画の道を断ち、写真家としての道を歩んでいく。 「奔る女たちー女性画家の戦前・戦後1930ー1950年代」栃木県立美術館• 山沢の写真をコンストラクテッド・フォトもしくはステージド・フォトの流れで評価が可能だと思いついた人は多いと思う。 映像で、山沢氏がうれしそうにレンガを湿らせて語るシーンがあります。

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【写真表現大学】H29.12/10(日)レクチャー「山沢栄子の世界」

芸術的意欲もそのためにほかならないのではなかろうか。 ただその一念だつた。 「What I Am Doing」のシリーズで、色と構図の革新的な感覚を利用した幾何学的なオブジェクトの撮影作品は、彼女を抽象写真の先駆者として位置づけました。 どんなに偉大な人物にも現実がある。 草間氏は1929年生まれ、1957年に渡米し、65年からハプニング、パフォーマンスを繰り広げます。

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年末年始は“映え”アート展へ!「山沢栄子 私の現代」

まじかよ。 荷物はそれがすべてでしたが、それは私の命でした。 「最近では他の入居者との交流も楽しみのひとつです」といった超ベタなナレーションがかぶさるのが、しみじみと良いですね。 In 1994, her solo exhibition was held at the Itami City Museum of Art, marking her only museum exhibition during her life time. 代表作「透明な青」。 1986年 - 山沢栄子写真集「私の現代・3」• この頃から抽象的な写真表現をしてきましたが、1960年に営業写真家としての仕事を辞め、表現としての写真制作に専念します。

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写真展レビュー 「山沢栄子 / 私の現代」@東京都写真美術館

それは写真からそのメディアの固有性を失わせ、安易に現実によりかかかった芸術性に乏しい写真とは逆の意味で、写真を絵画の領域に従属する、堕落した状態に置くことになる」と指摘している。 全身に謎のエネルギーが流れており、実年齢や外見からではそのバイタリティや信念の深さを測定できません。 他の割引併用不可。 美しさも正直さも、みにくさも、不正も・・・自己のはだかの実力で社会にぶつかって見てはじめて見たいろいろのこと、私はとても眼界がひろくなった。 20世紀前半に写真家のパとして活躍した女性らにインタビューし、オーラルヒストリーを紡いでいく。 とりわけカラー写真による色鮮やかな作品群は、当時の日本では他に例を見ないものでした。

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