正法 眼 蔵 随 聞 記。 正法眼蔵随聞記

道元禅師 正法眼蔵 現代訳の試み

禅林の住持や師匠は、道理に外れた弟子には慈悲の心を持って教え諭して正しい禅の道に導き入れるべきです。 」其の僧憤然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸けて云く、「汝箱を開いて是れを見るべし。 〕悟りを得んと思ふは僻見なり。 あながちに求ることなかれ。 (楊岐たちまち住して屋壁、疎なり。 まして、食を多く得るだけのために勤めてはいけない。 設ひ飢へ死に寒へ死すとも、一日一時なりとも仏教に随ふべし。

>

正法眼蔵隋聞記現代訳を教えてください。

【5-20】 示して云く、古人の云く、百尺の竿頭にさらに一歩をすヽむべしと。 如何ん。 當座に領ずる由を呈せんとするは法を能も聞得ざるなり。 是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、 竹箆打擲等のことを行ず。 従って俗人も世間で、自分の名誉や利益のためには命を捨てることも、 あながちできないこともないのである。 衣糧の二事は小縁なりと云へども行者の大事なり。 仏弟子は仏の教えに従って、ひたすら修行しなければならない。

>

正法眼蔵随問記

只仏家の儀式、叢林の家風なれば、 随順しゆくなり。 初祖最上乘の器なりと知て接得して、衣法共に相承傳來して、兒孫天下に流布し、正法今日に弘通す。 其の詳、舊誌に有て、具悉すと云う。 設ひ悪人不当なりとも左右なく悪くみ毀ることなかれ。 』と云へり。

>

新編 日本古典文学全集44・方丈記/徒然草/正法眼蔵随聞記/歎異抄

このような考えで修行することは正しいのでしょうかと、 尋ねた。 飢寒来らん時、是を愁ひとして行道を礙へっべし。 生死事大なり 一ノ十二 示して云はく、昔、智覚禅師と云ひし人の発 一ノ十三 夜話に云はく、祖席に禅話を心得る故実は、 一ノ十四 夜話に云はく、世間の人も、衆事を兼ね学し 一ノ十五 示して云はく、人は思ひ切りて、命をも棄て 一ノ十六 示して云はく、学道の人、衣糧を煩ふ事なか 一ノ十七 雑話の次に云はく、世間の男女・老少、多く 一ノ十八 夜話に云はく、世人、多く、善き事を作す時 一ノ十九 夜話に云はく、もし人来て用事を云ふ中に、 一ノ二十 夜話に云はく、今、世・出世間の人、多分、 一ノ二十一 示して云はく、学道の人、世情を捨つべきに 正法眼蔵随聞記 第二 二ノ一 示して云はく、行者、先づ、心をだにも調伏 二ノ二 示して云はく、故僧正、建仁寺におはせし時 二ノ三 夜話に云はく、唐の太宗の時、魏徴奏して、 二ノ四 また示して云はく、隋の文帝の云はく、「密 二ノ五 夜話に云はく、学道の人は、人情を棄つべき 二ノ六 夜話に云はく、故建仁寺僧正の伝をば、顕兼 二ノ七 また云はく、故公胤僧正の云はく、「道心と 二ノ八 夜話に云はく、故僧正の云はく、「衆僧、各 二ノ九 また、或る人、勧めて云はく、「仏法興隆の 二ノ十 また云はく、学道の人、教家の書籍を読み、 二ノ十一 示して云はく、我、在宋の時、禅院にして、 二ノ十二 夜話に云はく、真実、内徳なくして、人に貴 二ノ十三 夜話に云はく、学道の人、世間の人に、智者 二ノ十四 夜話に云はく、今、この国の人は、或は行儀 二ノ十五 一日、学人問うて云はく、「某甲、心に学道 二ノ十六 夜話に云はく、人多く遁世せざることは、我 二ノ十七 夜話に云はく、古人の云はく、「朝に道を聞 二ノ十八 夜話に云はく、学人は、必ず、死すべきこと 二ノ十九 或る時、奘問ひて云はく、「衲子の行履、旧 二ノ二十 夜話の次に、奘問うて云はく、「父母の報恩 二ノ二十一 一日、示して云はく、人の利鈍と云ふは、志 二ノ二十二 示して云はく、大宋禅院に、麦・米等を揃へ 二ノ二十三 因みに問うて云はく、「学人、もし、『自己 二ノ二十四 一日、請益の次に云はく、近代の僧侶、多く 二ノ二十五 示して云はく、治世の法は、上、天子より、 二ノ二十六 また云はく、我が大宋の天童禅院に居せし時 二ノ二十七 また云はく、道を得ることは、心を以て得る 正法眼蔵随聞記 第三 三ノ一 示して云はく、学道の人、身心を放下して、 三ノ二 或る時、さる比丘尼の云はく、「世間の女房 三ノ三 夜話に云はく、今時の世人を見るに、果報も 三ノ四 夜話に云はく、学道の人は、最も貧なるべし 三ノ五 示して云はく、宋土の海門禅師、天童の長老 三ノ六 示して云はく、唐の太宗、即位の後、古殿に 三ノ七 示して云はく、衲子の用心、仏祖の行履を守 三ノ八 また云はく、古人、「その人に似ずして、そ 三ノ九 示して云はく、人は、必ず、陰徳を修すべし 三ノ十 また云はく、今、仏祖の道を行ぜんと思はば 三ノ十一 一日、僧来つて、学道の用心を問ふ。 みちにて此の相如を殺して璧を奪ひ取らんと議しけるを、ときの人ひそかに相如にかたりて、此のたびの使を辭して命を保つべしと云ひければ、相如云く、某がし敢て辭すべからず。 我が身下賤にして高貴の人におとらじと思ひ、人に勝れんと思ふは、憍慢のはなはだしきものなり。

>

正法眼蔵随聞記

身も心も命も捨て去るべきである。 故に釋迦如來、牧牛女が乳粥を得て食し、馬麥 (カラムギ)を得て食す。 昔、知覚禅師が発心されたわけは、次のようであった。 亦今の伝来相承は根本戒をさづくとみへたり。 ときに奘問て云く、打坐と看讀と、ならべて此を學するに、語録公案等を見るには、百千に一つも聊か心得ることも出來るなり。 病を治するには減ずるもあり增ずるもあり。

>

新編 日本古典文学全集44・方丈記/徒然草/正法眼蔵随聞記/歎異抄

言ふこころは、国に賢者一人出来れば其の国興る、愚人ひとり出来れば先賢のあと廃るるなり。 それは禅堂で、ひたすら、坐禅することである。 それを是とし憍るゆへに、傍らの賤き人はこれを見てうらやみいたむべし。 しかあれば學人は祇管打坐して、他を管ずることなかれ。 人人利なれども、道を行ずることは衆力を以てす。 この事をよく思って、一人でも道心を起こすとことが国を栄えさせることにつながるのです。

>